昭和から平成、そして令和と、日本中を笑顔にした志村さんが 新型コロナウイルスによる肺炎のため3月29日亡くなりました。
人気番組『天才!志村どうぶつ園』で一緒に出演していた嵐・相葉雅紀さんは、突然すぎる悲しい別れに「事実を受け止める事が納得しません」と、あまりの悲しさやつらさに耐えられないほどの感謝のコメントしています。
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2人はかれこれ16年の付き合い。志村さんとの出会いこそ、アイドル・相葉雅紀の別の状態だったのです。
今からもずっと続いていくはずだった二人のあたたかな深い学びを、志村さんとともに振り返り相葉雅紀を変えた、志村さんの優しいアドバイスでした。
番組が新しく始まる2004年といえば、嵐はまだ固定ファン層の人気に留まっていた時代で国民的アイドルとして一人前でないのでした。
相葉雅紀も、最初はスタジオクイズ番組の解答者の1人。さらに相葉雅紀はその時は「カメラの前で緊張して上手に話せない」という悩みを抱えていたのですが、最初の放送で使われたコメントは、ほんの3秒で、スタッフからも「視聴者を楽しませる番組なんだからもっと喋って」と言われたそうです。
志村さんは、収録後にスタッフ・出演する人を集めてその日の振り返りを行うという。そこで志村さんは、落ち込む相葉雅紀にアドバイスをしたのです。
「テレビなどの映像を見る人は、お前がやっている事はお前の考えでやっていると思うのだから思い切って自分が納得できることを自分が出来る範囲内にやってみれば?」
と励まして優しくこの言葉で、相葉雅紀はロケを自分から進んでお願いし「ワケあり動物園修行」での体当たりロケが視聴者に面白かったと思われているのです。
“あの”志村さんも爆笑した。以後、相葉雅紀の人気・存在は上昇したのです。嵐のブレイクの一部の責任や役割を持つのです。
相葉雅紀はこのエピソードを自分の「別の状態」として、2010年4月17日教育番組などを送る『嵐伝~今夜しか見られない嵐がわかりすぎるVTR一挙放出SP~』で振り返っているのです。
志村さんが語った「相葉雅紀」
志村さんもまた、何事にも一生懸命に取り組み、アドバイスをすぐに実際の情況のもとでそれを行う相葉雅紀の熱心な姿勢を理解して判断に自分の方へ引き取る事にしたのです。
一緒に食事をしたときには、熱心にメモをとりながら志村さんの話を聞いていた事もあるそうです。
過去に雑誌『non-no』の意見では、礼儀正しかったですし、思ったことを率直に外面に表す人柄相葉を「完全できちんとしている普通の感覚を持った人気のある若いタレント」とコメントし、かわいがっていた志村さんです。
志村さんといえば素晴らしいエンターテイナー。人を楽しませること、喜ばせることを大切にする方であり、そして音楽のプロフェッショナルなのです。
ザ・ドリフターズではギターを受け持ち、三味線演奏者としても活躍で人気でした。ジャンルを問わず、幅広く音楽も大切にしてきたのです。
そんな志村さんは、人気者になっても決して自分の才能のない相葉雅紀を「コンサートではあれだけ素晴らしい事ができるのに」と、アイドルとしても認めていたのです。
志村さんは、嵐のライブにも何度も見に行き、自身のブログに「凄かった」とコメントしていたのです。
まだツアーを行っていたころの嵐のライブに、相葉雅紀たっての希望で参加したこともあるそうです。
舞台裏では「相葉雅紀のことを息子を見るような目で優しく」呼びかけてくれたと、『news zero』で櫻井翔が語っていたのです。
ネット声では志村さんは、日本中を笑顔にし・皆を大事にする素晴らしさを改めて感じた涙が止まらないですし、他にも沢山の思いがある相葉雅紀さんです。